年譜
1928年(昭和3年)
11月3日
大阪府豊能郡豊中町(現大阪府豊中市)で、手塚粲、文子の長男として生まれ、明治節にちなんで治と命名される。
1933年(昭和8年)
–
兵庫県川辺郡小浜村(1954年に宝塚市となる)へ引っ越す。
1935年(昭和10年)
4月
大阪府立池田師範学校附属小学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)に入学。
1936年(昭和11年)
–
髪の毛がちぢれていたので、「ガヂャボイ」というアダ名をつけられる。
1939年(昭和14年)
–
「オサムシ」という虫を知り、名前に虫をつけて「手塚治虫」というペンネームにする。
1941年(昭和16年)
–
大阪府立北野中学校(現:北野高校)に入学。
1944年(昭和19年)
8月
仁川の一里山修練所に入所、腕が水虫にかかり退所。
9月
勤労動員で淀川べりの大阪石綿に勤める。
1945年(昭和20年)
7月1日
大阪大学附属医学専門部に入学。
–
大阪空襲を体験。
1946年(昭和21年)
1月4日
少国民新聞(後:毎日小学生新聞)大阪版で『マアチャンの日記帳』で漫画家デビュー。
1951年(昭和26年)
1月25日
東京児童漫画会(児漫長屋)が結成され、入会。
1952年(昭和27年)
7月16日
仕事の場を東京に移し、新宿区四谷の八百屋の二階に下宿。
1953年(昭和28年)
–
東京都豊島区椎名町のトキワ荘に引っ越す。
1954年(昭和29年)
3月
関西長者番付画家の部でトップとなる。年収217万円。
10月
東京、雑司ヶ谷の並木ハウスに引っ越す。
1958年(昭和33年)
3月5日
『びいこちゃん』『漫画生物学』で第3回小学館漫画賞受賞。
4月29日
東映動画の嘱託になり、西遊記の原案、構成、演出を受け持つ。油絵で出版美術家協会賞受賞。
1959年(昭和34年)
10月4日
幼馴染の岡田悦子と結婚。東京、代々木初台に新居を構える。
1960年(昭和35年)
8月
東京都練馬区富士見台に家を新築。
1961年(昭和36年)
1月19日
奈良医大で「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究(タニシの精虫の研究)」で医学博士の学位を取得。
5月
1960年度長者番付、画家、漫画家の部でトップとなる。年収914.5万円。
6月
手塚治虫プロダクション動画部設立(翌年12月、株式会社虫プロダクションとして発足)。
8月11日
長男真誕生。
1961年(昭和36年)
5月
1962年度長者番付、画家の部で第2位となる。
1963年(昭和38年)
1月1日
国産初のテレビアニメ『鉄腕アトム』放送開始。
1月22日
『ある街角の物語』で第17回芸術祭奨励賞受賞。
1月25日
『ある街角の物語』で第13回ブルーリボン教育文化映画賞受賞。
2月2日
『ある街角の物語』で毎日映画コンクール第1回大藤信郎賞受賞。
5月
1962年度長者番付、画家の部でトップとなる。
9月7日
アメリカで『アストロボーイ(鉄腕アトム)』を放映。
1964年(昭和39年)
2月18日
『鉄腕アトム』で第2回テレビ記者会特別賞受賞。
4月18日
サンケイ新聞特派員としてニューヨーク世界博へ行き、ウォルト・ディズニーと出会う。
4月30日
長女るみ子誕生。
1965年(昭和40年)
5月31日
『鉄腕アトム』で厚生大臣児童福祉文化賞受賞。
10月6日
国産初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始。
1966年(昭和41年)
2月22日
『ジャングル大帝』で第4回テレビ記者会特別賞受賞。
3月1日
『ジャングル大帝』で厚生省中央児童文化財部会の年間優秀テレビ映画ベストワンに選ばれる。
5月9日
『ジャングル大帝』で児童福祉文化賞放送部門受賞。
9月1日
虫プロ商事発足。
12月25日
雑誌『COM』創刊。
1967年(昭和42年)
1月21日
『展覧会の絵』で第21回芸術祭奨励賞受賞。
1月31日
『展覧会の絵』で第17回ブルーリボン教育文化映画賞受賞。
2月25日
『展覧会の絵』で毎日映画コンクール第5回大藤信郎賞受賞。
4月28日
『新・ジャングル大帝 進め!レオ』で第6回日本テレフィルム技術賞受賞。
5月26日
『鉄腕アトム』ほか諸作品で第4回放送批評懇談会ギャラクシー賞受賞。
7月
劇場版『ジャングル大帝』でヴェネツィア国際映画祭サンマルコ銀獅子賞受賞。
10月3日
『展覧会の絵』で第14回アジア映画祭動画部門賞受賞。
1968年(昭和43年)
1月23日
株式会社手塚プロダクションを設立。
1969年(昭和44年)
6月11日
次女千以子誕生。
1970年(昭和45年)
2月17日
『やさしいライオン』で毎日映画コンクール第8回大藤信郎賞受賞。
3月15日
日本万国博フジパンロボット館をプロヂュース。
5月4日
『やさしいライオン』で第12回児童福祉文化奨励賞受賞。
5月11日
『火の鳥』で第1回講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。
1973年(昭和48年)
8月22日
虫プロ商事倒産。
11月1日
虫プロダクション倒産。
1974年(昭和49年)
3月
東京都杉並区下井草へ引っ越す。
1975年(昭和50年)
5月12日
『ブラック・ジャック』で第4回日本漫画家協会特別賞受賞。
6月18日
『ブッダ』『動物つれづれ草』で第21回文芸春秋漫画賞受賞。
1977年(昭和52年)
7月22日
『三つ目がとおる』『ブラック・ジャック』で第1回講談社漫画賞受賞。
8月15日
急性肝炎で日本医科大学病院に入院。
1978年(昭和53年)
2月19日
新発足の日本アニメーション協会の初代会長となる。
1979年(昭和54年)
6月29日
児童漫画の開拓と業績により、第2回巌谷小波文藝賞受賞。
1980年(昭和55年)
5月
東京都東久留米市へ引っ越す。
7月30日
『火の鳥2772』でサンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞受賞。
11月14日
『火の鳥2772』で第1回ラスベガス映画祭動画部門賞、サンディエゴ・コミック・コンベンション・インクポット賞受賞。
12月17日
中国で『鉄臂阿童木(鉄腕アトム)』を放映。
1981年(昭和56年)
4月25日
永年にわたるアニメーション文化の発展の貢献により『アニメージュ』主催の第3回アニメグランプリ特別賞受賞。
1982年(昭和57年)
12月1日
国際科学技術博覧会マスコットマーク審査員になる。
1983年(昭和58年)
11月25日
『鉄腕アトム』他で日本人のロボット観に大きな影響をあたえたことで第4回日本文化デザイン賞受賞。
1984年(昭和59年)
3月2日
『陽だまりの樹』で第29回小学館漫画賞(青年・一般向け部門)受賞。
6月15日
『ジャンピング』で第6回ザグレブ国際アニメーションフェスティバルグランプリ、およびユネスコ賞受賞。
11月22日
急性肝炎、胆石で半蔵門病院に入院。
1985年(昭和60年)
5月31日
永年に亘るアニメーション映画製作の功労により、第1回東京国際映画祭テラ・ピナアニメフェスティバルで表彰。
6月14日
『手塚治虫漫画全集』全300巻完結により、講談社漫画賞特別賞受賞。
6月16日
父の日に日本メンズファッション協会のベスト・ファーザー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。
8月23日
『おんぼろフィルム』で第1回広島国際アニメーションフェスティバルグランプリ受賞。
10月10日
『おんぼろフィルム』で第4回バルナ国際アニメーションフェスティバルカテゴリー部門最優秀賞受賞。
11月3日
『ジャンピング』で第30回バリャドリド国際アニメーションフェスティバル銀穂賞受賞。
12月26日
東京都民栄誉賞受賞。
1986年(昭和61年)
6月20日
『アドルフに告ぐ』で、第10回講談社漫画賞(一般部門)受賞。
1987年(昭和62年)
2月17日
エッセイ『観たり撮ったり映したり』で第14回キネマ旬報愛読者賞受賞。
12月21日
レーザーディスク『ジャンピング/手塚治虫』で第2回映像ソフト大賞(通産大臣賞)ビデオ部門受賞。
1988年(昭和63年)
1月29日
戦後漫画とアニメ界における創造的な業績により朝日賞受賞。
1月29日
『森の伝説』で毎日映画コンクール第26回大藤信郎賞受賞。
3月15日
腹部にいたみをおぼえ半蔵門病院に入院。一回目の手術が行われる。
4月
埼玉県新座市にスタジオが完成し手塚プロの制作部門が引っ越す。
5月12日
退院。
6月3日
『森の伝説』で第8回ザグレブ国際アニメーションフェスティバルCIFEJ賞(青少年映画賞)受賞。
10月3日
再入院。
10月19日
『森の伝説』でフランス・ブール・アン・ブレス青少年のためのアニメーション映画祭青少年審査員短編部門賞受賞。
12月5日
再手術。
1989年(平成元年)
2月9日
2月9日、胃ガンのため没(享年60)。
2月12日
自宅にて密葬。戒名は伯藝院殿覚圓蟲聖大居士(はくげいいんでんかくえんしゅじょうだいこじ)
2月23日
政府より叙勲 勲三等瑞宝章。
3月29日
年間最優秀プロヂューサーを選ぶ会特別賞受賞。
6月9日
永年にわたるTV映像への貢献により(社団法人)全日本テレビ番組製作連盟のテレビジョンATP賞特別賞受賞。
12月5日
多年にわたる貢献で日本SF作家クラブ主催第10回日本SF大賞特別賞受賞。
1990年(平成二年)
5月23日
永年の実績により第19回日本漫画家協会賞文部大臣賞受賞。