

基本情報
配信日:2000年3月
上映時間:約12分
製作:手塚プロダクション
あらすじ
生い立ちと幼少期のエピソードから始まる。
家族がマンガ映画を好んでいたこともあり、彼自身も自然とマンガに興味を持つようになった。
自分でもマンガを描き始め、それがきっかけでいじめがなくなったという経験もしている。
昆虫にも強い関心を抱き、自らを「テヅカオサムシ」と名乗るほどだった。
中学生になる頃には「自然を大切にしなければならない」という思いを強く抱くようになる。
やがて第二次世界大戦に巻き込まれる。
戦争が終わったとき、彼は「これで好きなだけマンガが描ける」と心から喜んだ。
また、腕の腫れる病気を治してくれた医師に感銘を受け、医者になりたいと考えるようにもなる。
17歳のとき、子ども向け新聞にマンガを描き始め、プロとしてデビュー。
大ベテランの先輩と描いた「新宝島」は映画のような迫力で読者を驚かせた。
マンガ家として生きるか、医者として生きるか迷ったが、母の助言に背中を押され、マンガ家の道を選ぶ。
大阪で人気を得た手塚治虫は上京し、『漫画少年』で「ジャングル大帝」を連載。
作品は瞬く間に大人気となり、アトムやサファイアなど数々の名作を生み出し、日本一の漫画家として知られるようになった。
売れっ子となり、寝る間もないほど忙しい日々を送りながらも、彼には大きな夢があった。
「ディズニーのようなアニメを作りたい」。
結婚後すぐにアニメ会社を設立し、日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」を制作。
アトムのキャラクターグッズが売れ始めると、アニメの人気に気づいた多くの会社が次々とアニメ番組を作り、日本のテレビはアニメであふれるようになった。
しかし、マンガが世の中に広がるにつれ、大人たちから「マンガなんてくだらない」という批判の声も上がった。
マンガが捨てられたり焼かれたりする光景に心を痛め、彼はより一層真剣にマンガと向き合う。
子どもだけでなく大人も夢中になれる作品を追求し、思想性や芸術性の高いマンガも生み出していった。
「鉄腕アトム」は世界中で放送され、アメリカでは「アストロボーイ」というタイトルで人気を博した。
手塚治虫自身も世界のマンガ家たちと交流を深め、日本のマンガ文化を世界へ紹介し続けた。
今日、日本のマンガやアニメが世界で評価されている背景には、彼のたゆまぬ努力がある。
いつでも“第一線”で走り続けた手塚治虫。
仕事に真面目で、生命や地球の未来、子どもたちのことを常に考え続けていた。
その視線は日本だけでなく、世界へ向けられていた。
働きすぎて体を壊してからも、病床でマンガを描き続けた。
生涯で描いた原稿は17万枚、作品は700話以上。
彼が見上げていた空は、地球という大きな生命の上に広がる空だった。
美しい自然が壊れていく現実を前に、
「もっと地球を大切にしなければならない」
「すべての生命を愛してほしい」
「子どもたちが暮らすこの星を、もっと素晴らしい場所に」
そう願い続けた手塚治虫は、今もマンガの中からその思いを語り続けている。
声の出演
- 朗読(松岡洋子)
スタッフ
- 企画・監修:手塚眞、木渕雅之
- 監督:堀井公二
- 脚本:小林弘利
- 原画:伴俊男
備考
- 手塚治虫公式HP「手塚治虫@ワールド」内にて公開されていたFLASHアニメ(サービス終了)
- 手塚治虫の生涯を文字と絵による「動く絵本」のイメージで紹介
- マウスオーバーやクリックで画面に変化があらわれる
【資料】
・手塚治虫劇場 手塚治虫のアニメーションフィルモグラフィー
・手塚プロダクション公式チャンネル-手塚治虫物語